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政宗が右眼を失っていたことは有名です。眼帯を付けた肖像も知られます。また、政宗が書き残した要望から、両目のある肖像画もあります。 この絵は、政宗が、豊臣秀吉の不審を買って上洛したとき、死に値する過失と認めて、死の覚悟を、金箔きんぱくを貼った磔刑たっけいの柱で派手に示したとされる場面。背後の柱は十字架とわかるものの、全体を描いてはいません。政宗その人に焦点を当て、派手な行為よりも、穏やかで動じない、風格ある姿を描いています。脇差わきざしに濃い緑色を差し、渋い色目の衣を引き立たせたり、衣の金色を十字架の金色に響き合わせたり、紫紅の色彩感覚の冴さえも見られます。紫紅の没後、彼を支援した原はら富太郎とみたろう(三溪さんけい)の所有となりました。 (八柳サエ)
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政宗が右眼を失っていたことは有名です。眼帯を付けた肖像も知られます。また、政宗が書き残した要望から、両目のある肖像画もあります。
この絵は、政宗が、豊臣秀吉の不審を買って上洛したとき、死に値する過失と認めて、死の覚悟を、金箔を貼った磔刑の柱で派手に示したとされる場面。背後の柱は十字架とわかるものの、全体を描いてはいません。政宗その人に焦点を当て、派手な行為よりも、穏やかで動じない、風格ある姿を描いています。脇差に濃い緑色を差し、渋い色目の衣を引き立たせたり、衣の金色を十字架の金色に響き合わせたり、紫紅の色彩感覚の冴えも見られます。紫紅の没後、彼を支援した原富太郎(三溪)の所有となりました。
(八柳サエ)