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華か圃ほは金沢生まれの日本画家です。仙台出身の南なん画が家か・岸浪柳溪きしなみりゅうけいに絵を学び、東京に転じた師を頼って上京し、実兄のいる横浜に移り住みました。そして横浜の円覚えんがく寺じ別院(久く保ぼ山さん)のもとめで描いた大だい涅ね槃はん図ずをきっかけに横浜の貿易商・原富はらとみ太た郎ろう(三溪さんけい)と知り合いました。当地の寺院からの依頼による仏画をてがけるほかに、三溪所蔵の仏画をはじめとして平安時代以降の仏教絵画の模写や研究に取り組みました。三溪ほか、横浜の文化人や政財界人と交際し、その援助をえて研究を深めたといいます。この作品では、祈りをささげる子どもに慈いつくしみのまなざしを向ける楊柳観音ようりゅうかんのんを鮮やかな色彩と美しい線で描き、仏画研究の成果を示しています。(柏木智雄)
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華圃は金沢生まれの日本画家です。仙台出身の南画家・岸浪柳溪に絵を学び、東京に転じた師を頼って上京し、実兄のいる横浜に移り住みました。そして横浜の円覚寺別院(久保山)のもとめで描いた大涅槃図をきっかけに横浜の貿易商・原富太郎(三溪)と知り合いました。当地の寺院からの依頼による仏画をてがけるほかに、三溪所蔵の仏画をはじめとして平安時代以降の仏教絵画の模写や研究に取り組みました。三溪ほか、横浜の文化人や政財界人と交際し、その援助をえて研究を深めたといいます。この作品では、祈りをささげる子どもに慈しみのまなざしを向ける楊柳観音を鮮やかな色彩と美しい線で描き、仏画研究の成果を示しています。
(柏木智雄)