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私は30年間、いろんな角度から沖縄の「基地を取り巻く人々」を撮ってきた。基地の中や飲み屋街での米兵、米兵と結婚した沖縄人女性、基地で働く沖縄人従業員、新基地建設で建設賛成派と反対派に割れた地域、軍用地主、反戦地主、外人バーで働く女性、米軍と大変仲のいい村…。「米軍基地撤去!」と叫ぶ人々もいる。「基地に依存して生きている」人々もいる。その両方とも沖縄だ。軍服を脱ぎ、一人のアメリカの青年に戻った時の米兵は、陽気で気のいい奴らが多い。だが、銃を持たない赤ん坊から年寄りまで無差別に殺しておいて、「正義だ」と平気で言う米軍は大嫌いだ。沖縄からも大勢の米兵がイラクに出兵している。日本の国で一番米軍基地が集中している沖縄は、これからどうなっていくのか。ずっと私は「基地を取り巻く人々」の人間模様を撮っていく。
反戦地主の知花昌一さん(47戯)は父親から米軍基地の中にある土地を譲り受けた。「いずれは次男に譲ろうと思っている」と言う。次男の昌喜世君(6栽)と長女の未来世ちゃん(10歳)と散歩にやって来た。(1995年12月20日、 沖縄県読谷村、米軍基地・楚辺通信所)
沖縄では、第二次世界大戦の末期、民間の人々を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、戦後も長らく、アメリカ合衆国の統治下に置かれていました。米国統治下の沖縄で生まれ育った石川が写真家を目指したのは、沖縄が日本へ復帰する前年、1971年のことです。復帰後も沖縄に基地が残ることが判明し、大きな反対運動が起きて、そこに参加したことがきっかけでした。石川は、さまざまな理由で基地と関わりのある人を、区別することなく撮影します。たとえば、基地の反対派と賛成派、駐留する米軍兵。政治の大局から語られる沖縄ではなく、沖縄をかたちづくる、あらゆる人と向き合って、彼らが語った沖縄の姿を残そうとしているのです。(木村絵理子)
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私は30年間、いろんな角度から沖縄の「基地を取り巻く人々」を撮ってきた。基地の中や飲み屋街での米兵、米兵と結婚した沖縄人女性、基地で働く沖縄人従業員、新基地建設で建設賛成派と反対派に割れた地域、軍用地主、反戦地主、外人バーで働く女性、米軍と大変仲のいい村…。「米軍基地撤去!」と叫ぶ人々もいる。「基地に依存して生きている」人々もいる。その両方とも沖縄だ。
軍服を脱ぎ、一人のアメリカの青年に戻った時の米兵は、陽気で気のいい奴らが多い。だが、銃を持たない赤ん坊から年寄りまで無差別に殺しておいて、「正義だ」と平気で言う米軍は大嫌いだ。
沖縄からも大勢の米兵がイラクに出兵している。日本の国で一番米軍基地が集中している沖縄は、これからどうなっていくのか。ずっと私は「基地を取り巻く人々」の人間模様を撮っていく。
反戦地主の知花昌一さん(47戯)は父親から米軍基地の中にある土地を譲り受けた。「いずれは次男に譲ろうと思っている」と言う。次男の昌喜世君(6栽)と長女の未来世ちゃん(10歳)と散歩にやって来た。
(1995年12月20日、 沖縄県読谷村、米軍基地・楚辺通信所)
沖縄では、第二次世界大戦の末期、民間の人々を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、戦後も長らく、アメリカ合衆国の統治下に置かれていました。米国統治下の沖縄で生まれ育った石川が写真家を目指したのは、沖縄が日本へ復帰する前年、1971年のことです。復帰後も沖縄に基地が残ることが判明し、大きな反対運動が起きて、そこに参加したことがきっかけでした。石川は、さまざまな理由で基地と関わりのある人を、区別することなく撮影します。たとえば、基地の反対派と賛成派、駐留する米軍兵。政治の大局から語られる沖縄ではなく、沖縄をかたちづくる、あらゆる人と向き合って、彼らが語った沖縄の姿を残そうとしているのです。
※同じシリーズの他の作品もご覧いただけます(木村絵理子)