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東京美術学校を卒業して画家として歩みはじめた藤田は、1913年、成功を夢見て26歳でパリに渡りました。パリには若い芸術家がヨーロッパ各地から集まり、芸術談義だんぎを繰り広げていました。藤田は持ち前の社交性でその中に飛び込み、大いに刺激を受けながら、やがて独自の画風を生み出します。真珠のように輝くなめらかな白い下地に、日本画や水墨画で使われる細い面相筆めんそうふでと墨を用いて裸婦や猫を描き、「すばらしき乳白色」と絶賛されたのは1921年のこと。この作品はその頃の典型作です。藤田は下地の作り方を秘密にしていましたが、近年の研究で、ベビーパウダーと白い画材を混ぜて特有の質感を得ていたことがわかっています。(内山淳子)
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東京美術学校を卒業して画家として歩みはじめた藤田は、1913年、成功を夢見て26歳でパリに渡りました。パリには若い芸術家がヨーロッパ各地から集まり、芸術談義を繰り広げていました。藤田は持ち前の社交性でその中に飛び込み、大いに刺激を受けながら、やがて独自の画風を生み出します。真珠のように輝くなめらかな白い下地に、日本画や水墨画で使われる細い面相筆と墨を用いて裸婦や猫を描き、「すばらしき乳白色」と絶賛されたのは1921年のこと。この作品はその頃の典型作です。藤田は下地の作り方を秘密にしていましたが、近年の研究で、ベビーパウダーと白い画材を混ぜて特有の質感を得ていたことがわかっています。
(内山淳子)