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1952年、清之は東京藝術大学の講師になり、学生を連れてよく隣の東京国立博物館へ模写に訪れました。《古代より(一)(二)》のモチーフは、その際に展示されていた埴はに輪わと土器です。この年、清之が戦前から参加していた日本美術院展では、欧米の新しい絵画の影響のもと、伝統的な日本画のテーマや描き方を離れ、色彩で抽象的な空間をあらわすような作品の傾向が著しくなりました。清之もそうした表現を試みます。当時の日記には、存在感の強いモチーフを奥行きのない空間に調和させるのに苦労したことを記しています。古代の遺物を題材にしたのは、終戦後の日本が国史を見直すなかで起きていた考古学ブームを意識したものでもあるでしょう。(内山淳子)
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1952年、清之は東京藝術大学の講師になり、学生を連れてよく隣の東京国立博物館へ模写に訪れました。《古代より(一)(二)》のモチーフは、その際に展示されていた埴輪と土器です。この年、清之が戦前から参加していた日本美術院展では、欧米の新しい絵画の影響のもと、伝統的な日本画のテーマや描き方を離れ、色彩で抽象的な空間をあらわすような作品の傾向が著しくなりました。清之もそうした表現を試みます。当時の日記には、存在感の強いモチーフを奥行きのない空間に調和させるのに苦労したことを記しています。古代の遺物を題材にしたのは、終戦後の日本が国史を見直すなかで起きていた考古学ブームを意識したものでもあるでしょう。
(内山淳子)