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下村観山は、明治から昭和はじめにかけて活躍した日本画家です。この作品は現在東京国立博物館が所蔵している《魔障図》の下図で、中央には向かい合って座る僧侶と如来が描かれています。しかし、よく見ると如来の手足には獣のような毛や長い爪が生えていて、目は脇に置かれた魚を物欲しげに見つめています。題名の「魔障」は、仏教の修行を妨げる魔の障害という意味で、実は僧侶が対面しているのは、魔物が化けたニセモノの如来なのです。観山は特にこの魔物の表現に悩み、試行錯誤を繰り返していたことが、残された複数の下図からわかっています。下図は、どのような過程を経て作品が完成したのかを知ることができる、貴重な資料なのです。(日比野民蓉)■関連資料・日比野民蓉「下村観山《魔障図》の変遷」(PDF)(『横浜美術館研究紀要』第22号、横浜美術館、2021年、pp. 5, 11-29)
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下村観山は、明治から昭和はじめにかけて活躍した日本画家です。この作品は現在東京国立博物館が所蔵している《魔障図》の下図で、中央には向かい合って座る僧侶と如来が描かれています。しかし、よく見ると如来の手足には獣のような毛や長い爪が生えていて、目は脇に置かれた魚を物欲しげに見つめています。題名の「魔障」は、仏教の修行を妨げる魔の障害という意味で、実は僧侶が対面しているのは、魔物が化けたニセモノの如来なのです。観山は特にこの魔物の表現に悩み、試行錯誤を繰り返していたことが、残された複数の下図からわかっています。下図は、どのような過程を経て作品が完成したのかを知ることができる、貴重な資料なのです。
(日比野民蓉)
■関連資料
・日比野民蓉「下村観山《魔障図》の変遷」(PDF)
(『横浜美術館研究紀要』第22号、横浜美術館、2021年、pp. 5, 11-29)