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1945年、作者の髙田保雄は18歳で横浜大空襲を経験し、父親を亡くします。以来、無惨むざんにも焼け野原となった故郷・横浜を訪れることは、ほとんどなくなりました。しかし、1960年代に入り、空襲前に描きためていたスケッチから、横浜をモチーフとした油彩画を描き始めます。この作品は、その「横浜シリーズ」と呼ばれる連作のうちのひとつです。赤レンガ倉庫は、綿めんの貿易商をしていた父の仕事とも関わっていた場所。完成前の画面にうっすらと斜線をほどこすことで、全体に霞かすみがかかったような表現は、まるで遠い記憶の中を漂うような印象を与えます。作者の故郷に対する複雑な思いと、横浜という土地の歴史的記憶を、同時に伝える作品です。(日比野民蓉)
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1945年、作者の髙田保雄は18歳で横浜大空襲を経験し、父親を亡くします。以来、無惨にも焼け野原となった故郷・横浜を訪れることは、ほとんどなくなりました。しかし、1960年代に入り、空襲前に描きためていたスケッチから、横浜をモチーフとした油彩画を描き始めます。この作品は、その「横浜シリーズ」と呼ばれる連作のうちのひとつです。赤レンガ倉庫は、綿の貿易商をしていた父の仕事とも関わっていた場所。完成前の画面にうっすらと斜線をほどこすことで、全体に霞がかかったような表現は、まるで遠い記憶の中を漂うような印象を与えます。作者の故郷に対する複雑な思いと、横浜という土地の歴史的記憶を、同時に伝える作品です。
(日比野民蓉)