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フランスで挿絵画家として活躍していたビゴーは日本の浮世絵や風俗への憧れから1882年に初来日しました。日本でも挿絵業などを生業なりわいとしながら、在日外国人向けの風刺雑誌『トバエ』を発刊。その創刊号には日本と清(中国)とロシアの朝鮮半島をめぐる緊張関係を魚釣りに例えた、有名な《魚釣り遊び》(1887年)が掲載されました。こうした風刺画のほかにビゴーは日本各地の風俗を描いた油彩や水彩画も多く残しました。この作品もそのひとつで、静岡県の伊豆内浦湾うちうらわんに取材しています。ビゴーは滞日中もフランスの官展(サロン)への応募を続けていました。ビゴーの日本風俗への関心には、サロン入選のための題材集めという目的もあったようです。(南島 興)
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フランスで挿絵画家として活躍していたビゴーは日本の浮世絵や風俗への憧れから1882年に初来日しました。日本でも挿絵業などを生業としながら、在日外国人向けの風刺雑誌『トバエ』を発刊。その創刊号には日本と清(中国)とロシアの朝鮮半島をめぐる緊張関係を魚釣りに例えた、有名な《魚釣り遊び》(1887年)が掲載されました。こうした風刺画のほかにビゴーは日本各地の風俗を描いた油彩や水彩画も多く残しました。この作品もそのひとつで、静岡県の伊豆内浦湾に取材しています。ビゴーは滞日中もフランスの官展(サロン)への応募を続けていました。ビゴーの日本風俗への関心には、サロン入選のための題材集めという目的もあったようです。
(南島 興)