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当代きっての写真家ナダールのスタジオには、多くの芸術家が出入りしていました。この写真のモデル、当時の画壇の重鎮じゅうちんであったドラクロワもそのひとりです。ナダールは、得意の四し分ぶんの三正面さんしょうめん(顔を3/4ほど斜めに向ける、伝統的な肖像画の構図法)のアングルから、この大画家の威い厳げんに満ちた姿を写し出しています。ところが、ドラクロワは出来上がった写真に不満をあらわにしたそうです。理由は定かでありませんが、やや虚うつろに感じられる眼差しが、老境ろうきょうに差しかかり身体の衰えに悩まされていたこの画家には受け入れ難かったのでしょうか。そんなモデルの不満をよそに写真は雑誌に掲載され、皮肉にもこの画家のもっとも有名な肖像写真となりました。(松永真太郎)
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当代きっての写真家ナダールのスタジオには、多くの芸術家が出入りしていました。この写真のモデル、当時の画壇の重鎮であったドラクロワもそのひとりです。
ナダールは、得意の四分の三正面(顔を3/4ほど斜めに向ける、伝統的な肖像画の構図法)のアングルから、この大画家の威厳に満ちた姿を写し出しています。ところが、ドラクロワは出来上がった写真に不満をあらわにしたそうです。理由は定かでありませんが、やや虚ろに感じられる眼差しが、老境に差しかかり身体の衰えに悩まされていたこの画家には受け入れ難かったのでしょうか。そんなモデルの不満をよそに写真は雑誌に掲載され、皮肉にもこの画家のもっとも有名な肖像写真となりました。
(松永真太郎)