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第二次世界大戦中、アメリカ軍による空襲がはじまると、少しでも多くの人や建物を守るために、子どもたちを田舎いなかへ移住させたり、密集する建物を間引きすることが行われました。これを疎そ開かいとよびます。銀座では、1944年3月に通りの半分以上の建物が壊されたともいわれる、大規模な建物疎開がありました。この写真は、その頃に銀座3丁目のあたりで写されたものです。ちょうど洋品店があったのか、腕の取れたマネキンが立っています。そして手前には、華やかな柄の生地を仕立て直したモンペ姿の女性が歩いています。師岡は、ファッションの街銀座で、建物だけでなく、装うことの自由まで奪われてしまったことを、記録しようとしたのでしょう。(木村絵理子)
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第二次世界大戦中、アメリカ軍による空襲がはじまると、少しでも多くの人や建物を守るために、子どもたちを田舎へ移住させたり、密集する建物を間引きすることが行われました。これを疎開とよびます。銀座では、1944年3月に通りの半分以上の建物が壊されたともいわれる、大規模な建物疎開がありました。この写真は、その頃に銀座3丁目のあたりで写されたものです。ちょうど洋品店があったのか、腕の取れたマネキンが立っています。そして手前には、華やかな柄の生地を仕立て直したモンペ姿の女性が歩いています。師岡は、ファッションの街銀座で、建物だけでなく、装うことの自由まで奪われてしまったことを、記録しようとしたのでしょう。
(木村絵理子)