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画面を左右に横切るのは、明治元年(1868)に縁起をかついで改名し、1875年に石造りとなった海運橋かいうんばし。そのむこう、唐銅からかね(青銅)の緑が雪に映える建物が、1873年開業の日本初の銀行・第一銀行です。木骨もっこつに石造五階建て、瓦かわら屋根やねと城郭風の塔にベランダ、という和わ洋折ようせっ衷ちゅうぶり。これら新しい時代を象徴する建造物に向かって、きもの姿の女性が進んでいく――新旧まじり合う世相をたくみに捉えた構成です。女性の番傘の「銀座」「岸田」は、多彩な活動を展開した岸きし田だ吟香ぎんこう(岸きし田だ劉りゅう生せいの父)の薬屋・楽善堂らくぜんどうのものと考えられています。「銀行」に「吟香」。明治の浮世絵師・清親は、ことば遊びや洒しゃ落れを愛した江戸の気き風ふうも、こっそり忍び込ませたのかもしれません。(坂本恭子)
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画面を左右に横切るのは、明治元年(1868)に縁起をかついで改名し、1875年に石造りとなった海運橋。そのむこう、唐銅(青銅)の緑が雪に映える建物が、1873年開業の日本初の銀行・第一銀行です。木骨に石造五階建て、瓦屋根と城郭風の塔にベランダ、という和洋折衷ぶり。これら新しい時代を象徴する建造物に向かって、きもの姿の女性が進んでいく――新旧まじり合う世相をたくみに捉えた構成です。
女性の番傘の「銀座」「岸田」は、多彩な活動を展開した岸田吟香(岸田劉生の父)の薬屋・楽善堂のものと考えられています。「銀行」に「吟香」。明治の浮世絵師・清親は、ことば遊びや洒落を愛した江戸の気風も、こっそり忍び込ませたのかもしれません。
(坂本恭子)