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山本牧彦は、戦前のピクトリアリズム(芸術写真)を代表する写真家のひとり。写真家、淵上白陽ふちかみはくようの作品に影響をうけて、大正末から昭和初期にかけて写真誌『芸術写真研究』などに作品を発表し始めます。同誌の編集者で写真家、批評家でもあった中島謙吉なかじまけんきちがその才能を見出しました。ベスト判(4×6.5cm)の写真をつくる単たん玉ぎょくレンズ付きカメラ(ベス単)を愛用し、そのことによるソフトフォーカス(焦点をぼかすこと)、極端なトリミング(画面の切り取り)、デフォルメ(画面の変形)を作風の特徴としました。この作品でもそうした手法を採っています。また、構図が類似していることから、洋画家、小こ出楢重いでならしげの自画像を参照していたと考えられています。(柏木智雄)
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山本牧彦は、戦前のピクトリアリズム(芸術写真)を代表する写真家のひとり。写真家、淵上白陽の作品に影響をうけて、大正末から昭和初期にかけて写真誌『芸術写真研究』などに作品を発表し始めます。同誌の編集者で写真家、批評家でもあった中島謙吉がその才能を見出しました。ベスト判(4×6.5cm)の写真をつくる単玉レンズ付きカメラ(ベス単)を愛用し、そのことによるソフトフォーカス(焦点をぼかすこと)、極端なトリミング(画面の切り取り)、デフォルメ(画面の変形)を作風の特徴としました。この作品でもそうした手法を採っています。また、構図が類似していることから、洋画家、小出楢重の自画像を参照していたと考えられています。
(柏木智雄)