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浜田は1939年の東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業直後に、郷里の熊本歩兵連隊に入隊、翌年より中国で軍務につきました。その後一時除隊したものの44年に再招集され、伊豆の新にい島じまで終戦を迎えます。そんな浜田にとって作家としての出発は、この戦争体験とともにありました。作家はのちにこの作品について「中国の民家の前に死体が転がっていて、腕の傷口からウジがいっぱい出ていた」という記憶に基づき、一日で一気に仕上げたと語っています。実際にみた風景に、頭や死体、膨ふくらんだお腹の子どもを描き加えて仕上げました。画面を覆う暗い灰色は、作家の心に深く刻まれた戦争の闇と絶望そのものともいえるでしょう。(片多祐子)
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浜田は1939年の東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業直後に、郷里の熊本歩兵連隊に入隊、翌年より中国で軍務につきました。その後一時除隊したものの44年に再招集され、伊豆の新島で終戦を迎えます。そんな浜田にとって作家としての出発は、この戦争体験とともにありました。作家はのちにこの作品について「中国の民家の前に死体が転がっていて、腕の傷口からウジがいっぱい出ていた」という記憶に基づき、一日で一気に仕上げたと語っています。実際にみた風景に、頭や死体、膨らんだお腹の子どもを描き加えて仕上げました。画面を覆う暗い灰色は、作家の心に深く刻まれた戦争の闇と絶望そのものともいえるでしょう。
(片多祐子)