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百人一首に次のような歌があります。小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ平安時代の貴族で亡くなったあと「貞てい信しん公こう」と呼ばれた藤原忠平ふじわらのただひらが、この歌をよみました。京都小倉山のもみじに感動した宇う多だ上じょう皇こう(醍だい醐ご天てん皇のうの父)の思いに心よせた歌です。観山はこの歌に想をえて《小倉山》を描いたと考えられます。画面右の人物は歌をつくる貞信公その人です。左には貞信公が目にする木々を描いたのでしょうか。観山の師である岡おか倉くら覚かく三ぞう(天てん心しん)は、色あざやかな木々を金の地に描くことに観山のねらいがあると指摘しました。(柏木智雄)
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百人一首に次のような歌があります。
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ
平安時代の貴族で亡くなったあと「貞信公」と呼ばれた藤原忠平が、この歌をよみました。京都小倉山のもみじに感動した宇多上皇(醍醐天皇の父)の思いに心よせた歌です。観山はこの歌に想をえて《小倉山》を描いたと考えられます。画面右の人物は歌をつくる貞信公その人です。左には貞信公が目にする木々を描いたのでしょうか。観山の師である岡倉覚三(天心)は、色あざやかな木々を金の地に描くことに観山のねらいがあると指摘しました。
(柏木智雄)