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1960年代初めのアメリカでは、ガラスを自己表現のメディアとする作家たちの活動が盛んになりました。小型のガラス溶解炉ようかいろが開発され、工場から個人のスタジオへと制作の場を移した作家たちは、造形素材としてのガラスの可能性を追究しました。「スタジオ・グラス・ムーヴメント」とよばれるこの動向を日本で率いたのが、藤田でした。日本の伝統美をガラスで表した「飾筥かざりばこ」シリーズを確立する一方で、1977年以降は、ガラス作りの伝統のあるヴェネツィアでも制作を手がけます。大らかなかたちと赤青白のシンプルな色味で仕上げられたこの作品は、未知なる創作の可能性に挑んだヴェネツィアで生みだされた、藤田の代表作です。(長谷川珠緒)
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1960年代初めのアメリカでは、ガラスを自己表現のメディアとする作家たちの活動が盛んになりました。小型のガラス溶解炉が開発され、工場から個人のスタジオへと制作の場を移した作家たちは、造形素材としてのガラスの可能性を追究しました。「スタジオ・グラス・ムーヴメント」とよばれるこの動向を日本で率いたのが、藤田でした。日本の伝統美をガラスで表した「飾筥」シリーズを確立する一方で、1977年以降は、ガラス作りの伝統のあるヴェネツィアでも制作を手がけます。大らかなかたちと赤青白のシンプルな色味で仕上げられたこの作品は、未知なる創作の可能性に挑んだヴェネツィアで生みだされた、藤田の代表作です。
(長谷川珠緒)