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三代良斎は、輸出用の陶磁器を生産していた二代の長男。1914年に東京から横浜高島町たかしまちょうに移り、関東大震災を機に南区井い土どヶが谷やに登のぼり窯がまを開きました。古こ陶とうの研究を重ねつつ、器形や釉薬ゆうやくの実験に生涯とりくんだ、横浜を代表する陶工です。白磁とありますが、磁器にしてはかなりぶ厚いつくりで、宋から明の時代、あるいは李氏朝鮮の磁器の「白」をこそ、作家はなぞろうとしたのでしょう。口縁こうえんから引き下ろした縦の筋と丸いかたちが響き合い、蕾つぼみをほころばせた白い花が、そのまま花瓶に化したかのよう。上部にかさなる水平線も、花びらのやわらかな手触りを思い出させます。いのちの温かさを感じさせるふっくらとした形態は、三代良斎がとくに好んだものでした。(坂本恭子)
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三代良斎は、輸出用の陶磁器を生産していた二代の長男。1914年に東京から横浜高島町に移り、関東大震災を機に南区井土ヶ谷に登り窯を開きました。古陶の研究を重ねつつ、器形や釉薬の実験に生涯とりくんだ、横浜を代表する陶工です。
白磁とありますが、磁器にしてはかなりぶ厚いつくりで、宋から明の時代、あるいは李氏朝鮮の磁器の「白」をこそ、作家はなぞろうとしたのでしょう。口縁から引き下ろした縦の筋と丸いかたちが響き合い、蕾をほころばせた白い花が、そのまま花瓶に化したかのよう。上部にかさなる水平線も、花びらのやわらかな手触りを思い出させます。いのちの温かさを感じさせるふっくらとした形態は、三代良斎がとくに好んだものでした。(坂本恭子)