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紫紅は、まだ居留地きょりゅうちがあった頃の横浜で育ちました。旧来の絵の型を破る新しい絵画を生み出そうと、仲間とグループを作り研鑽けんさんを積みました。そのひとつ赤曜会せきようかいは、紫紅がリーダーでした。これはその第3回展の出品作。川底の石を緩ゆるい点描で描き、水の揺らぎと透明感を表す一方、沙は魚ぜ7匹はヒレや眼、胴の模様などを細かく描いています。縦長の画面に、点描が形作るラインと、泳ぐ沙魚を交差するように配置し、軽やかなリズムを生み出しています。中国の荘そう子しが泳ぐ魚を見て楽しそうと言った故事から、東洋では古くから人の自由な境地を、魚が水中を泳ぐ姿に託す絵が制作されました。この絵にも、沙魚に清らかで楽しい心地が託されているようです。(八柳サエ)
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紫紅は、まだ居留地があった頃の横浜で育ちました。旧来の絵の型を破る新しい絵画を生み出そうと、仲間とグループを作り研鑽を積みました。そのひとつ赤曜会は、紫紅がリーダーでした。これはその第3回展の出品作。川底の石を緩い点描で描き、水の揺らぎと透明感を表す一方、沙魚7匹はヒレや眼、胴の模様などを細かく描いています。縦長の画面に、点描が形作るラインと、泳ぐ沙魚を交差するように配置し、軽やかなリズムを生み出しています。中国の荘子が泳ぐ魚を見て楽しそうと言った故事から、東洋では古くから人の自由な境地を、魚が水中を泳ぐ姿に託す絵が制作されました。この絵にも、沙魚に清らかで楽しい心地が託されているようです。
(八柳サエ)