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1979年、東山魁夷は、一世一代の大仕事だった唐招提寺とうしょうだいじ御み影堂えいどうの障壁画の完成を前に制作に打ち込む一方、冬景色を描いたリトグラフ集『冬の詩』を刊行しました。10年近く一心に障壁画しょうへきがに取り組み、鑑真がんじん和上わじょうの御み霊たまを思いながら自身と向き合う日々を過ごしてきた画家にとって、多くの人の手に渡る版画集は、時に孤独でもある芸術家と受け手をつなぐ、大切な表現手法だったことでしょう。この絵は、『冬の詩』所収の版画をのちに絵画作品として描いたもの。節くれだった老木が青空に映え、内に蓄えた命の確かさを伝えています。画家は「冬になって葉の落ち尽くした樹々の姿に、それぞれの樹々の真実の姿が表れているのを感じる。」と記しました。(内山淳子)
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1979年、東山魁夷は、一世一代の大仕事だった唐招提寺御影堂の障壁画の完成を前に制作に打ち込む一方、冬景色を描いたリトグラフ集『冬の詩』を刊行しました。10年近く一心に障壁画に取り組み、鑑真和上の御霊を思いながら自身と向き合う日々を過ごしてきた画家にとって、多くの人の手に渡る版画集は、時に孤独でもある芸術家と受け手をつなぐ、大切な表現手法だったことでしょう。この絵は、『冬の詩』所収の版画をのちに絵画作品として描いたもの。節くれだった老木が青空に映え、内に蓄えた命の確かさを伝えています。画家は「冬になって葉の落ち尽くした樹々の姿に、それぞれの樹々の真実の姿が表れているのを感じる。」と記しました。
(内山淳子)