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岡田謙三は、戦前にパリで絵を学び、1950年に創作の新たな展開を期待してアメリカに渡りました。「抽象表現主義」と呼ばれる絵の傾向が大流行していたニューヨークで、多くの芸術家や美術関係者と交際しながら抽象画に転じていきます。制作にあたっては、まず広告チラシなどの雑紙を割さいて、偶然できる形を小さな台紙に貼りつけて構成します。この習作にもとづき、うすく溶いた淡い色の油絵具で大きな絵を描いていくのです。この作品でも同じ手法をとっています。少年期から能に関心の深かった岡田は、日本の伝統的な色感を取り入れた自身の絵の趣おもむきを「ユーゲニズム(幽玄ゆうげん主義)」と名付けました。(柏木智雄)
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岡田謙三は、戦前にパリで絵を学び、1950年に創作の新たな展開を期待してアメリカに渡りました。「抽象表現主義」と呼ばれる絵の傾向が大流行していたニューヨークで、多くの芸術家や美術関係者と交際しながら抽象画に転じていきます。制作にあたっては、まず広告チラシなどの雑紙を割いて、偶然できる形を小さな台紙に貼りつけて構成します。この習作にもとづき、うすく溶いた淡い色の油絵具で大きな絵を描いていくのです。この作品でも同じ手法をとっています。少年期から能に関心の深かった岡田は、日本の伝統的な色感を取り入れた自身の絵の趣を「ユーゲニズム(幽玄主義)」と名付けました。
(柏木智雄)