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1945年8月15日、日本の敗戦は昭和天皇の玉音放送ぎょくおんほうそうをもって国民に知らされます。民俗行事の取材のため新潟にいた濱谷浩は、その衝撃に屋外へ飛び出して、雲ひとつない真夏の空の太陽に向かってシャッターを切りました。「戦争は終わった。人類史上最大の犠牲と不幸を代償として、日本は惨敗した。私はその時点での感懐かんかいを、ここに明確に記すことはむずかしい」と、撮影からおよそ30年後に濱谷はこの日について記しています。真っ黒にプリントされた空に、ただ太陽のまばゆい光だけが写された写真です。しかし撮影時の状況、写真家の思いに触れると、見方も変わります。この写真は日本の戦後写真のはじまりを告げる一枚です。(大澤紗蓉子)
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1945年8月15日、日本の敗戦は昭和天皇の玉音放送をもって国民に知らされます。民俗行事の取材のため新潟にいた濱谷浩は、その衝撃に屋外へ飛び出して、雲ひとつない真夏の空の太陽に向かってシャッターを切りました。「戦争は終わった。人類史上最大の犠牲と不幸を代償として、日本は惨敗した。私はその時点での感懐を、ここに明確に記すことはむずかしい」と、撮影からおよそ30年後に濱谷はこの日について記しています。真っ黒にプリントされた空に、ただ太陽のまばゆい光だけが写された写真です。しかし撮影時の状況、写真家の思いに触れると、見方も変わります。この写真は日本の戦後写真のはじまりを告げる一枚です。
(大澤紗蓉子)