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作者が生まれたのは、パリがナチスドイツの占領から解放された直後、第二次世界大戦が終わりに近づいた1944年のことでした。そして作者の父は、ナチスによる迫害はくがいを受けたユダヤ人でした。ホロコーストを生き延びた父や、父の友人たちから聞いた戦争の話は、大事に受け継いでいくべき、みんなの記憶として強く心に刻まれていきます。この作品の大小さまざまな写真は、1931年、ウィーンでユダヤ人が通っていたシャス高校の最終学年のクラス集合写真を、大きく引き伸ばしたものです。積み重なった古いビスケット缶は、まるで一人一人の思い出の品がしまわれた祭壇のようにも見えて、やがて生徒たちに迫り来るホロコーストの不安が表現されています。(木村絵理子)
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作者が生まれたのは、パリがナチスドイツの占領から解放された直後、第二次世界大戦が終わりに近づいた1944年のことでした。そして作者の父は、ナチスによる迫害を受けたユダヤ人でした。ホロコーストを生き延びた父や、父の友人たちから聞いた戦争の話は、大事に受け継いでいくべき、みんなの記憶として強く心に刻まれていきます。この作品の大小さまざまな写真は、1931年、ウィーンでユダヤ人が通っていたシャス高校の最終学年のクラス集合写真を、大きく引き伸ばしたものです。積み重なった古いビスケット缶は、まるで一人一人の思い出の品がしまわれた祭壇のようにも見えて、やがて生徒たちに迫り来るホロコーストの不安が表現されています。
(木村絵理子)