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ハイドは、母国アメリカのほかヨーロッパでも絵を学び、パリで日本に関心の高かった画家レガメーの影響を受けて31歳で初めて来日しました。日本の絵画も学びますが、日本美術を評価した東洋美術史家フェノロサの勧めで木版画に取り組みます。延べ10年以上滞在し、日本の母と子や、子どもたちの姿を多く描きました。ここでは、藤の鉢はちや格子戸こうしどがほぼ左右対称に配された画面の中央で、二人の子どもがお辞儀じぎをし合っています。二人の姿の輪郭線りんかくせんはゆるやかに円を描いていて、それは体を曲げる二人のお辞儀が、やわらかく丁寧になされたことを伝えます。ハイドの愛情あふれる眼差しが、礼儀れいぎ正しく優しい子どもの姿に向けられていたことをうかがわせます。 (八柳サエ)
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ハイドは、母国アメリカのほかヨーロッパでも絵を学び、パリで日本に関心の高かった画家レガメーの影響を受けて31歳で初めて来日しました。日本の絵画も学びますが、日本美術を評価した東洋美術史家フェノロサの勧めで木版画に取り組みます。延べ10年以上滞在し、日本の母と子や、子どもたちの姿を多く描きました。ここでは、藤の鉢や格子戸がほぼ左右対称に配された画面の中央で、二人の子どもがお辞儀をし合っています。二人の姿の輪郭線はゆるやかに円を描いていて、それは体を曲げる二人のお辞儀が、やわらかく丁寧になされたことを伝えます。ハイドの愛情あふれる眼差しが、礼儀正しく優しい子どもの姿に向けられていたことをうかがわせます。
(八柳サエ)