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photo©S.ANZAI
画学生ががくせいであった宮崎進は、1942年、兵士となって中国大陸に渡りました。終戦後およそ4年にわたってシベリアで囚とらわれの身となります。きびしい戦争と抑留よくりゅうの体験を経て、宮崎がふたたび絵を描き始めたのは50年代半ばのことでした。さまざまなテーマを追求したのち、90年代から戦争体験の記憶を、麻布ドンゴロスを使った絵画や彫刻で表現しはじめます。 この作品では、中国大陸でみた日本人孤児こじの泣き顔の記憶を彫刻にしています。残留孤児のなかには中国人に養育された人もいましたが、野犬などに襲われて命をおとした孤児も多くいたといいます。人知れず戦争の犠牲ぎせいとなった人々への鎮魂ちんこんの思いが託されています。 (柏木智雄)
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画学生であった宮崎進は、1942年、兵士となって中国大陸に渡りました。終戦後およそ4年にわたってシベリアで囚われの身となります。きびしい戦争と抑留の体験を経て、宮崎がふたたび絵を描き始めたのは50年代半ばのことでした。さまざまなテーマを追求したのち、90年代から戦争体験の記憶を、麻布を使った絵画や彫刻で表現しはじめます。
この作品では、中国大陸でみた日本人孤児の泣き顔の記憶を彫刻にしています。残留孤児のなかには中国人に養育された人もいましたが、野犬などに襲われて命をおとした孤児も多くいたといいます。人知れず戦争の犠牲となった人々への鎮魂の思いが託されています。
(柏木智雄)