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大阪で油彩画を学んだ山中春雄は、戦争で渡った中国大陸から帰国し、戦後横浜に移り住みました。1953年の年末から翌年にかけてはヨーロッパを旅し、その後の展覧会に出品されたのが、この作品です。独特のプロポーションと濃い輪郭線が印象的な人物がふたり、テーブルを前に横並びで座っています。テーブルと椅子、女性の衣服まですべて透明ですが、それとは対照的に、お互いの心は全く透けて見えないようです。山中の作品は、描かれた人物の背景にあるドラマを想像させるようなスタイルから、徐々に人物のかたちが崩れ、人間存在そのものを問うようなものへと移行していきます。そして1962年、40代前半の非ひ業ごうの死により、画業も終わりを迎えました。(日比野民蓉)
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大阪で油彩画を学んだ山中春雄は、戦争で渡った中国大陸から帰国し、戦後横浜に移り住みました。1953年の年末から翌年にかけてはヨーロッパを旅し、その後の展覧会に出品されたのが、この作品です。独特のプロポーションと濃い輪郭線が印象的な人物がふたり、テーブルを前に横並びで座っています。テーブルと椅子、女性の衣服まですべて透明ですが、それとは対照的に、お互いの心は全く透けて見えないようです。山中の作品は、描かれた人物の背景にあるドラマを想像させるようなスタイルから、徐々に人物のかたちが崩れ、人間存在そのものを問うようなものへと移行していきます。そして1962年、40代前半の非業の死により、画業も終わりを迎えました。
(日比野民蓉)