当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
このページの本文へ移動
横浜美術館コレクション検索
English
コレクション検索TOPへ
國領經郎は、1965年、遠州灘えんしゅうなだに面した中田島なかたじまの浜を初めて訪れました。その浜辺で、心の底から求めつづけていた果てのない無音の世界に出会い、深く感動したと書いています。この体験をきっかけに、さまざまな砂の風景を描き始めました。1968年、横浜国立大学の教員になった國領は、大学紛争ふんそうのさなか、集団で行動する学生たちに向き合いました。その若者たちの群れの中の孤立感こりつかんを、砂の上に立ちつくす若者の群像で表現したのです。この作品では、強い海風をうける女性が描かれています。ふたりは浜辺で寄りそいつつも、それぞれ異なる方向に孤独こどくな視線をなげかけています。(柏木智雄)
Page Top
國領經郎は、1965年、遠州灘に面した中田島の浜を初めて訪れました。その浜辺で、心の底から求めつづけていた果てのない無音の世界に出会い、深く感動したと書いています。この体験をきっかけに、さまざまな砂の風景を描き始めました。1968年、横浜国立大学の教員になった國領は、大学紛争のさなか、集団で行動する学生たちに向き合いました。その若者たちの群れの中の孤立感を、砂の上に立ちつくす若者の群像で表現したのです。この作品では、強い海風をうける女性が描かれています。ふたりは浜辺で寄りそいつつも、それぞれ異なる方向に孤独な視線をなげかけています。
(柏木智雄)