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上前智祐は、1954年に結成された前衛美術のグループ、具体美術協会の一員として知られます。アカデミックな美術教育は受けず、染織工房での奉公やクレーン運転士の仕事など、生活に根差した経験から、ユニークな作品を数多く生み出しました。72年に「具体」が解散するまでは主に抽象絵画を発表していましたが、70年代からは布切れをひたすら縫うことで造形する立体作品、80年からは版画作品へと、制作手法を拡張していきます。この作品は、上前の最初期の版画作品で、原画は、紙に墨汁とローラーという手近な材料と道具でつくられました。イメージには、自ら「魔法の都市」と呼んだ製鉄所での勤務経験が、反映されているのかもしれません。(日比野民蓉)
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上前智祐は、1954年に結成された前衛美術のグループ、具体美術協会の一員として知られます。アカデミックな美術教育は受けず、染織工房での奉公やクレーン運転士の仕事など、生活に根差した経験から、ユニークな作品を数多く生み出しました。72年に「具体」が解散するまでは主に抽象絵画を発表していましたが、70年代からは布切れをひたすら縫うことで造形する立体作品、80年からは版画作品へと、制作手法を拡張していきます。この作品は、上前の最初期の版画作品で、原画は、紙に墨汁とローラーという手近な材料と道具でつくられました。イメージには、自ら「魔法の都市」と呼んだ製鉄所での勤務経験が、反映されているのかもしれません。
(日比野民蓉)