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義松は、画家・五ご姓せ田だ芳柳ほうりゅうの次男として江戸に生まれました。12歳のころ、父のすすめで横浜の外国人居留地きょりゅうちに住むイギリス人画家ワーグマンに入門。江戸末期に、油彩や水彩、鉛筆素描などの技法を、そのワーグマンから直接学びました。1868年ころから横浜に移り住み、早くから絵の才能が評判をよびます。1880年にいち早くパリに留学し、画家レオン・ボナの画学校で本格的に絵を学びました。前景に描かれているのは、大火事で焼けた遊郭跡ゆうかくあと地ちに公園建設がすすむ埋立地(現・横浜公園)です。そこから山手の石川中村を、派は大岡川おおおかがわ越しに望むパノラマが描かれています。水彩絵具ですばやく風景の印象をとらえる18歳当時の早熟な才能が見てとれるでしょう。(柏木智雄)
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義松は、画家・五姓田芳柳の次男として江戸に生まれました。12歳のころ、父のすすめで横浜の外国人居留地に住むイギリス人画家ワーグマンに入門。江戸末期に、油彩や水彩、鉛筆素描などの技法を、そのワーグマンから直接学びました。1868年ころから横浜に移り住み、早くから絵の才能が評判をよびます。1880年にいち早くパリに留学し、画家レオン・ボナの画学校で本格的に絵を学びました。
前景に描かれているのは、大火事で焼けた遊郭跡地に公園建設がすすむ埋立地(現・横浜公園)です。そこから山手の石川中村を、派大岡川越しに望むパノラマが描かれています。水彩絵具ですばやく風景の印象をとらえる18歳当時の早熟な才能が見てとれるでしょう。
(柏木智雄)