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佐藤は、学生のとき、文部省が開いた帝国美術院の展覧会(帝展)に入選します。翌年フランスに渡り、ピカソ、マティス、藤ふじ田た嗣つぐ治はるらの活動に刺激を受けました。滞欧中の作品が帝展の特選となります。しかしやがて、国家に左右されない純粋な芸術の創造を求め、仲間と新しい美術の団体を立ち上げました。第二次世界大戦が終わり、1952年からは、パリを拠点にします。1960年代には、厚い絵具の層を持つ抽象画の世界を確立しました。この画面は、森を連想させる緑色が大半を占めています。中央には前方後円墳のような形が見えます。化石の肌合いにも似た絵肌には、神話を生んだ古代からの時と、積み重ねられた人々の思いが塗りこめられているようです。(八柳サエ)
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佐藤は、学生のとき、文部省が開いた帝国美術院の展覧会(帝展)に入選します。翌年フランスに渡り、ピカソ、マティス、藤田嗣治らの活動に刺激を受けました。滞欧中の作品が帝展の特選となります。しかしやがて、国家に左右されない純粋な芸術の創造を求め、仲間と新しい美術の団体を立ち上げました。第二次世界大戦が終わり、1952年からは、パリを拠点にします。1960年代には、厚い絵具の層を持つ抽象画の世界を確立しました。この画面は、森を連想させる緑色が大半を占めています。中央には前方後円墳のような形が見えます。化石の肌合いにも似た絵肌には、神話を生んだ古代からの時と、積み重ねられた人々の思いが塗りこめられているようです。
(八柳サエ)