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黒の地に、赤土色の円と帯状の線。この作品がつくられた1950年代初頭から半ばにかけて、山口の作品の色は黒と赤土色、あるいは黒と黄土色にほぼ限定されていきます。黒の地に、赤土色か黄土色のどちらかが図としてあらわれているこの絵のような作品から、しだいに図であった赤土色と黄土色が画面を覆うようになり、《軌》のように展開していくのです。1902年に漢城ハンソン(のちの京城けいじょう、現ソウル)で生まれた山口長男は、終戦後に日本へ引き上げるまで40年以上、朝鮮半島を基本的な拠点としていました。それはほとんど日本の朝鮮半島占領期と重なります。山口自身は、終生ひきつけられてやまなかった赤土色を、生まれ育った「朝鮮の色」と語りました。(日比野民蓉)
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黒の地に、赤土色の円と帯状の線。この作品がつくられた1950年代初頭から半ばにかけて、山口の作品の色は黒と赤土色、あるいは黒と黄土色にほぼ限定されていきます。黒の地に、赤土色か黄土色のどちらかが図としてあらわれているこの絵のような作品から、しだいに図であった赤土色と黄土色が画面を覆うようになり、《軌》のように展開していくのです。1902年に漢城(のちの京城、現ソウル)で生まれた山口長男は、終戦後に日本へ引き上げるまで40年以上、朝鮮半島を基本的な拠点としていました。それはほとんど日本の朝鮮半島占領期と重なります。山口自身は、終生ひきつけられてやまなかった赤土色を、生まれ育った「朝鮮の色」と語りました。
(日比野民蓉)