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1932年11月、ベルリンの通信社で暗室助手として働いていた19歳のハンガリー人アンドレ・フリードマン(のちのキャパ)は、ソ連の政治家トロツキーの講演の取材を命ぜられてコペンハーゲンに飛びます。その会場でフリードマンは、壇上で熱弁をふるう演説者の間近に陣取り、29枚の迫真のショットをものにしました。ドイツの大手誌に掲載されたそれらの写真群が、報道写真家フリードマンのデビュー作となります。この写真は、その29枚のうち26番目にあたる、おそらく最も有名な一枚です。フリードマンが「ロバート・キャパ」の名で活動を始めるのは、それから3年あまりのちのことです。(松永真太郎)
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1932年11月、ベルリンの通信社で暗室助手として働いていた19歳のハンガリー人アンドレ・フリードマン(のちのキャパ)は、ソ連の政治家トロツキーの講演の取材を命ぜられてコペンハーゲンに飛びます。その会場でフリードマンは、壇上で熱弁をふるう演説者の間近に陣取り、29枚の迫真のショットをものにしました。ドイツの大手誌に掲載されたそれらの写真群が、報道写真家フリードマンのデビュー作となります。
この写真は、その29枚のうち26番目にあたる、おそらく最も有名な一枚です。フリードマンが「ロバート・キャパ」の名で活動を始めるのは、それから3年あまりのちのことです。
(松永真太郎)