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「私のうえにもっとも大きな変革をもたらしたのは、ラスコーとアルタミラの洞窟どうくつ画がであった」。江見が後にそう回想するように、1954年の南欧なんおうでの洞窟壁画との出会いは、彼女の絵に決定的な変化をもたらします。その衝撃の出会いは画家に「芸術とはなんであるか」との根源的な問いを突きつけました。以降その絵には、人物や風景に代わり象形文字のようなかたちがあらわれます。それは江見にとって、その後長きにわたり模索する抽象表現へのはじまりに位置する試みでした。折しも抽象絵画に熱いまなざしが注がれていた時代。1958年に江見は、イタリアにおける国際芸術祭、ヴェネチア・ビエンナーレへも日本人女性作家として初参加しました。(片多祐子)
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「私のうえにもっとも大きな変革をもたらしたのは、ラスコーとアルタミラの洞窟画であった」。江見が後にそう回想するように、1954年の南欧での洞窟壁画との出会いは、彼女の絵に決定的な変化をもたらします。その衝撃の出会いは画家に「芸術とはなんであるか」との根源的な問いを突きつけました。以降その絵には、人物や風景に代わり象形文字のようなかたちがあらわれます。それは江見にとって、その後長きにわたり模索する抽象表現へのはじまりに位置する試みでした。折しも抽象絵画に熱いまなざしが注がれていた時代。1958年に江見は、イタリアにおける国際芸術祭、ヴェネチア・ビエンナーレへも日本人女性作家として初参加しました。
(片多祐子)