当サイトではJavaScriptを使用しております。 JavaScriptをONにして再読み込みを行ってください。
このページの本文へ移動
横浜美術館コレクション検索
English
コレクション検索TOPへ
岡田謙三は東京美術学校で西洋画を学んだ後、パリに留学しました。帰国後は、都会的で甘美な作風により、一定の評価と人気を得ます。この作品は、1941年から翌年にかけて旅行した、満州での体験をもとに描かれたものです。1910年の日韓併合、1932年の満州国建国などを経て、それまでとは比較にならないほど多くの日本人が、朝鮮半島や中国大陸に足を踏み入れるようになった時代。美術家も例外ではなく、日本の画壇では1930年代頃から、朝鮮や台湾、中国に取材した作品が急増します。その中でも岡田の描いた満州の人々の群像は、スラリとした体形、人物のポーズと配置、色使いに、どことなく洗練されたおしゃれな雰囲気さえ漂わせているのが特徴的です。(日比野民蓉)
Page Top
岡田謙三は東京美術学校で西洋画を学んだ後、パリに留学しました。帰国後は、都会的で甘美な作風により、一定の評価と人気を得ます。この作品は、1941年から翌年にかけて旅行した、満州での体験をもとに描かれたものです。1910年の日韓併合、1932年の満州国建国などを経て、それまでとは比較にならないほど多くの日本人が、朝鮮半島や中国大陸に足を踏み入れるようになった時代。美術家も例外ではなく、日本の画壇では1930年代頃から、朝鮮や台湾、中国に取材した作品が急増します。その中でも岡田の描いた満州の人々の群像は、スラリとした体形、人物のポーズと配置、色使いに、どことなく洗練されたおしゃれな雰囲気さえ漂わせているのが特徴的です。
(日比野民蓉)