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芳柳は日本の伝統的な画材を使い、真にせまる肖像画や風俗画を描く手法を発明しました。この手法によって天皇や地位の高い人々の肖像画を手がけたほか、陸軍の指示で記録画なども制作しました。また、多くの洋画家を育てたことでも知られています。1885年に、雅が号ごうを弟子にゆずり、代わりに「柳翁りゅうおう」を名乗ってからも各地で注文をうけ肖像画などを描きました。この作品では、孟もう子しの母(孟母)が織っていた布を裁たちきり、学問を中断してはならないことを孟子に説いた故事に取材しています。画面に「明治二十二年九月四日 於飛州茂住里 五姓田柳翁寫」と記されることから、飛騨国ひだのくに(現岐阜県北部)茂も住ずみで描かれたことがわかります。(柏木智雄)
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芳柳は日本の伝統的な画材を使い、真にせまる肖像画や風俗画を描く手法を発明しました。この手法によって天皇や地位の高い人々の肖像画を手がけたほか、陸軍の指示で記録画なども制作しました。また、多くの洋画家を育てたことでも知られています。1885年に、雅号を弟子にゆずり、代わりに「柳翁」を名乗ってからも各地で注文をうけ肖像画などを描きました。
この作品では、孟子の母(孟母)が織っていた布を裁ちきり、学問を中断してはならないことを孟子に説いた故事に取材しています。画面に「明治二十二年九月四日 於飛州茂住里 五姓田柳翁寫」と記されることから、飛騨国(現岐阜県北部)茂住で描かれたことがわかります。
(柏木智雄)