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知恵を象徴する文殊菩薩もんじゅぼさつは、通常、右手に刀(剣)を持ち獅子ししの背に座った姿で表現されます。これを子どもの姿で描いたものが稚児文殊です。この作品では、水干すいかんという平安時代の衣装を着けた姿で文殊を表現しています。 横浜の生糸貿易商でコレクターでもあった原はら富太郎とみたろう(三溪さんけい)は、本牧ほんもく和田山わだやまに観山を招き邸宅を提供するなど、観山を支援したパトロンです。その三溪の所蔵品のなかに、藤原信実ふじわらののぶざね作と伝えられる稚児文殊の絵(鎌倉時代)がありました。観山はこの作品を描く際に、三溪のもとで信実のその絵を見せてもらいヒントにしたのかもしれません。署名の書体と「帝室技芸員ていしつぎげいいん 観山」の印の組み合わせから1923年ころの作と推定されます。 (柏木智雄)
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知恵を象徴する文殊菩薩は、通常、右手に刀(剣)を持ち獅子の背に座った姿で表現されます。これを子どもの姿で描いたものが稚児文殊です。この作品では、水干という平安時代の衣装を着けた姿で文殊を表現しています。
横浜の生糸貿易商でコレクターでもあった原富太郎(三溪)は、本牧和田山に観山を招き邸宅を提供するなど、観山を支援したパトロンです。その三溪の所蔵品のなかに、藤原信実作と伝えられる稚児文殊の絵(鎌倉時代)がありました。観山はこの作品を描く際に、三溪のもとで信実のその絵を見せてもらいヒントにしたのかもしれません。署名の書体と「帝室技芸員 観山」の印の組み合わせから1923年ころの作と推定されます。
(柏木智雄)