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広瀬長江は、明治30年代から安やす田だ靫彦ゆきひこや今村いまむら紫し紅こうらが率いる紅こう児じ会かいの展覧会を中心に作品を発表しました。この作品も同会の第13回展出品作と推定されます。現存する構想画に「万年草お梅粂之介」の文字があることから、近松門ちかまつもん左ざ衛え門もんの世せ話わ浄瑠璃じょうるり「心中万年草しんじゅうまんねんそう」に取材したことが分かります。「心中万年草」は、高こう野や山さんの寺小姓てらこしょう・粂くめ之の助すけと麓ふもとの宿・雑さい賀か屋やの娘お梅が女人堂にょにんどうで心中した事件を脚色したもの。角前髪すみまえがみの粂之助は口元をぬぐい、かたわらに座るお梅と早すぎる死を前に水杯みずさかずきを交わしたのでしょうか。事件が起きたのは宝永ほうえい五ご子ね年どし(1708年)のことでした。お梅の着物に「宝」「子」の文字や梅の文様が描かれ、事件と人物の正体を暗示しているようです。(柏木智雄)
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広瀬長江は、明治30年代から安田靫彦や今村紫紅らが率いる紅児会の展覧会を中心に作品を発表しました。この作品も同会の第13回展出品作と推定されます。
現存する構想画に「万年草お梅粂之介」の文字があることから、近松門左衛門の世話浄瑠璃「心中万年草」に取材したことが分かります。「心中万年草」は、高野山の寺小姓・粂之助と麓の宿・雑賀屋の娘お梅が女人堂で心中した事件を脚色したもの。角前髪の粂之助は口元をぬぐい、かたわらに座るお梅と早すぎる死を前に水杯を交わしたのでしょうか。事件が起きたのは宝永五子年(1708年)のことでした。お梅の着物に「宝」「子」の文字や梅の文様が描かれ、事件と人物の正体を暗示しているようです。
(柏木智雄)