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安田靫彦は、絵の修行を始めてほどない10代半ばのころ、同世代の画家今村いまむら紫し紅こうらと日本画の研究団体「紅こう児じ会かい」を結成しました。課題を決めて作品を制作し、会の展覧会に出品して仲間同士で批評しあい研究を深めていきました。のちに歴史画の第一人者として不動の地位を築いていく、その基礎がこうした研さんで育まれたと言えるでしょう。この作品は、1903年の紅児会第3回展(課題:日蓮にちれん)出品作と推定されます。日蓮宗を開いた鎌倉時代の僧・日蓮は、1282年、武蔵国むさしのくに池上いけがみ(現・大田区池上)で病没しました。師の死去に際して集まった弟子たちが、深い悲しみを心に秘めて題目を唱えているところでしょうか。厳おごそかな雰囲気をたくみに表現しています。(柏木智雄)
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安田靫彦は、絵の修行を始めてほどない10代半ばのころ、同世代の画家今村紫紅らと日本画の研究団体「紅児会」を結成しました。課題を決めて作品を制作し、会の展覧会に出品して仲間同士で批評しあい研究を深めていきました。のちに歴史画の第一人者として不動の地位を築いていく、その基礎がこうした研さんで育まれたと言えるでしょう。
この作品は、1903年の紅児会第3回展(課題:日蓮)出品作と推定されます。日蓮宗を開いた鎌倉時代の僧・日蓮は、1282年、武蔵国池上(現・大田区池上)で病没しました。師の死去に際して集まった弟子たちが、深い悲しみを心に秘めて題目を唱えているところでしょうか。厳かな雰囲気をたくみに表現しています。
(柏木智雄)