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飛ぶ鳥が見た世界のように砂丘を描いています。國領はそれまで若者たちの群れをモチーフとしてきました。しかし、この時期になると人や物といった具体的なものではなく砂地を対象に描き始めます。その何もないかに見える風景は東京美術学校(現、東京芸術大学)で学んでいた日本画における余白の表現に影響を受けています。無地の砂丘は、作者と観る者のそれぞれの心を映すための余白と考えられるでしょう。また画面奥に見える溜水について、國領は自身を映し出す鏡のようなものとして捉えていました。つまり、この作品では、砂丘の風景という舞台が、若者たちから、作家自身を見つめるためのものへと変化しつつあることがうかがえるのです。(南島興)
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飛ぶ鳥が見た世界のように砂丘を描いています。國領はそれまで若者たちの群れをモチーフとしてきました。しかし、この時期になると人や物といった具体的なものではなく砂地を対象に描き始めます。その何もないかに見える風景は東京美術学校(現、東京芸術大学)で学んでいた日本画における余白の表現に影響を受けています。無地の砂丘は、作者と観る者のそれぞれの心を映すための余白と考えられるでしょう。また画面奥に見える溜水について、國領は自身を映し出す鏡のようなものとして捉えていました。つまり、この作品では、砂丘の風景という舞台が、若者たちから、作家自身を見つめるためのものへと変化しつつあることがうかがえるのです。
(南島興)