←前のページに戻る 前の作品 次の作品 りょくいん緑蔭 作家名 カタオカ タマコ 片岡 球子 作家英名 KATAOKA, Tamako 生年 1905年 没年 2008年 制作年 1939年(昭和14年) 技法、材質、形状 紙本着色 縦(高) × 横(幅) × 奥行(厚) 194.0 x 286.0 cm 受入種別 寄贈 寄贈者名 片岡球子氏 分野名 日本画 収蔵品番号 2008-JP-001 北海道に生まれた片岡球子は、画家になることを決意して上京し、21歳から現・横浜市立大岡小学校に勤めていました。この作品に描かれている韓服ハンボクの少女は、学校の教え子をモデルにしたといいます。日本が朝鮮半島を占領していた時代、半島から渡ってきた人々は、横浜市にも多く居住していました。ぶどう棚の下の4人は、それぞれ浴衣ゆかたとチマ(スカート)チョゴリ(上衣)を着ています。片岡の人物画では、衣服の色や模様が作品の重要な構成要素のひとつになっていて、ここでも、それぞれの民族衣装への関心がうかがえます。この作品は、画業と並行し、50歳になるまで教師として勤め上げた地・横浜へ、作家の遺志により寄贈されました。 (日比野民蓉) メタデータ : Json-LD n3 nt rdf(xml) ttl
北海道に生まれた片岡球子は、画家になることを決意して上京し、21歳から現・横浜市立大岡小学校に勤めていました。この作品に描かれている韓服の少女は、学校の教え子をモデルにしたといいます。日本が朝鮮半島を占領していた時代、半島から渡ってきた人々は、横浜市にも多く居住していました。ぶどう棚の下の4人は、それぞれ浴衣とチマ(スカート)チョゴリ(上衣)を着ています。片岡の人物画では、衣服の色や模様が作品の重要な構成要素のひとつになっていて、ここでも、それぞれの民族衣装への関心がうかがえます。この作品は、画業と並行し、50歳になるまで教師として勤め上げた地・横浜へ、作家の遺志により寄贈されました。
(日比野民蓉)