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東京美術学校西洋画科を卒業した里見勝蔵は、1921年、油絵の本場であるヨーロッパへ渡りました。同年の秋には、ゴッホが最さい期ごを迎えた場所として知られるオーヴェル=シュル=オワーズを訪れます。パリの北西約30kmに位置するこの街で、里見は画家のモーリス・ド・ヴラマンクと出会いました。粗あらい筆跡を残し、暗い色調でドラマチックに描き出されたこの風景画からは、里見が当時、ヴラマンクからいかに大きな影響を受けたかがわかります。ポントワーズはオーヴェル=シュル=オワーズ近くの都市。この風景は、今も残る大聖堂の塔を中央に描いています。敬愛する師の教えを忠実に学び取ろうとする、意欲あふれる若々しさが、画面から伝わるようです。(日比野民蓉)
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東京美術学校西洋画科を卒業した里見勝蔵は、1921年、油絵の本場であるヨーロッパへ渡りました。同年の秋には、ゴッホが最期を迎えた場所として知られるオーヴェル=シュル=オワーズを訪れます。パリの北西約30kmに位置するこの街で、里見は画家のモーリス・ド・ヴラマンクと出会いました。粗い筆跡を残し、暗い色調でドラマチックに描き出されたこの風景画からは、里見が当時、ヴラマンクからいかに大きな影響を受けたかがわかります。ポントワーズはオーヴェル=シュル=オワーズ近くの都市。この風景は、今も残る大聖堂の塔を中央に描いています。敬愛する師の教えを忠実に学び取ろうとする、意欲あふれる若々しさが、画面から伝わるようです。
(日比野民蓉)