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斎藤は戦前から、ヨーロッパ美術の新しい動向を熱心に研究して、型にはまらない自由な創作を試みていました。戦前のそうした作品は、展覧会の絵画部門でも彫刻部門でも受けいれてもらえなかったと言います。常識に左右されない創作の姿勢を示すエピソードでしょう。戦争を経て作品のほとんどを失った斎藤は、1973年に戦前の作品の再制作に取り組みます。この作品も、1938年に作った原作を記憶と記録写真をもとに再制作したものです。単純なかたちの板を数枚貼りかさねて、絵とも彫刻とも言いがたい不思議な作品となっています。赤い板がマグロのトロのように見えることから、作者は改めてこの作品にユーモアに富んだタイトルをつけました。(柏木智雄)
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斎藤は戦前から、ヨーロッパ美術の新しい動向を熱心に研究して、型にはまらない自由な創作を試みていました。戦前のそうした作品は、展覧会の絵画部門でも彫刻部門でも受けいれてもらえなかったと言います。常識に左右されない創作の姿勢を示すエピソードでしょう。
戦争を経て作品のほとんどを失った斎藤は、1973年に戦前の作品の再制作に取り組みます。この作品も、1938年に作った原作を記憶と記録写真をもとに再制作したものです。単純なかたちの板を数枚貼りかさねて、絵とも彫刻とも言いがたい不思議な作品となっています。赤い板がマグロのトロのように見えることから、作者は改めてこの作品にユーモアに富んだタイトルをつけました。
(柏木智雄)