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1932年に青森で生まれた画家の生家は菓子店でした。クラシック音楽が流れる店内の喫茶室には、西洋画の複製が飾られ、文学を愛する父と交友した文学者や画家が集つどいました。そうした文化的な環境で育った佐野は、美術大学へと進学します。「ブルーという色は、どれほど、多くの言いたいことをかくしているのであろうか―」。こう語る彼女は、一貫して「ブルー=青」に向き合ってきました。青は佐野にとってその画風を特徴づけるだけではなく、制作のテーマそのもの。ここに描かれているのも、明るく澄んだ青から落ち着いた深みのある青までさまざまです。幅広い青と他の色の軽妙な響きあいからは、午後の街の喧騒けんそうが聞こえてくるようです。(片多祐子)
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1932年に青森で生まれた画家の生家は菓子店でした。クラシック音楽が流れる店内の喫茶室には、西洋画の複製が飾られ、文学を愛する父と交友した文学者や画家が集いました。そうした文化的な環境で育った佐野は、美術大学へと進学します。「ブルーという色は、どれほど、多くの言いたいことをかくしているのであろうか―」。こう語る彼女は、一貫して「ブルー=青」に向き合ってきました。青は佐野にとってその画風を特徴づけるだけではなく、制作のテーマそのもの。ここに描かれているのも、明るく澄んだ青から落ち着いた深みのある青までさまざまです。幅広い青と他の色の軽妙な響きあいからは、午後の街の喧騒が聞こえてくるようです。
(片多祐子)